INTERVIEW|社員が語る宇野バス

その人に一番合う方法を考え、
できるまで教える。
教官として自分の経験を
すべて注ぎたい。

石原 恒男 Tsuneo Ishihara
2012年入社

今は運転手と教官を兼務するも、
最初はバスの運転はできないとパニックに!

トラックとは違い、バスはお客様が勝手に降りてくれるので、運転すればいいだけだと思っていたら、ブレーキ一つにしても全部違った。ものすごくハイレベル。最初はパニックになってね。教習中、これはもう無理かもしれないと思った。叱られるばかりで、こんなに自分はできなかったのかと。何でできないのか悔しくて、涙を流しながら教習を受けたからね。エアブレーキって踏めば止まると思うでしょ? でも違うんです。バスのブレーキはじっくり踏んで、ゆっくり抜きながら最後にパッと離すと止まる。そうしないとカックンとなって、その時にお客様が立っていたら倒れてしまうんです。それが理解できないからパニックになるし、そうしたら緊張もするし、それでまた叱られて。厳しい世界だと思いましたね。ただ、ここ最近はみんな優しくなりました、本当ですよ(笑)。でも、安全に対する厳しさは変わらない。時代の変化もあって、今は昔以上に厳しいです。

ビール専門の運送会社で活躍するも会社の再編を機に47歳で転職。小さい頃からよく知る宇野バスで有終の美を飾ろうと、骨を埋める覚悟で入社。子どもが中学生の時に硬式野球チームを立ち上げ、運営・指導の経験も。現在57歳。

できないことがあれば、
できるようにするためのアイテムを足す。

教官の時は、その人に合うように個別に教え方を変えるのが私のやり方です。一つの教え方にとらわれず、一番いい方法を考える。できないことは、理解してもらえるようにわかりやすく噛み砕く。例えば、ハンドルはここまで切ると実際にやって見せる。放送が苦手なら紙に書いて渡す。そうやってアイテムを足してできるようにして、次にできるものをセットにして、一つの作業としてバス停ごとに運転する。最終的に全部組み合わせて、それを完璧にしていく。一つでも抜くと楽だから、抜いた方法で慣れたらもう二度と戻らない。そこは特に厳しく言います。「これが抜けたぞ」と。だから、できるようになるアイテムをその都度足して、毎日やっていたら覚えられるんです。それが私のやり方。ただし、最初が肝心で、「素直に言うことが聞けるか」という話から始めるんです。いや違う、それはこうだと講釈を垂れるようではね。打てば響く人間になってもらいたいですから。

教習では、始まりと終わりの礼儀、身だしなみから入り、手取り足取り教えます。放送する路線が覚えられないならカンペを作って運転席に。やる気を出してもらいたいから、どうすればできるかを常に考えています。

叱る教え方で辞める人が続出!
自分を変えたら、人の成長が楽しくなった。

社長から言われて、教官になって5年。人を育てるのは大変だけど楽しい。今は、そう言えるようになったけど、教官になったばかりの頃は、叱る教え方だったから、みんな泣いてね。そんな調子だから人が辞めてしまったんです。さすがに社長から「お前も成長しないと人を預けれんぞ」って。それから一回一回の教習を大事にして、自分も一緒に成長していこうと決めたんです。バスを運転していても、「こういうことがあったらこうすればいい」と考えるようになったら、もっとわかりやすく教えられるようになった。そこからまた教えることが楽しくなって、新人の成長が楽しみになった。人の数だけ教え方も変わるし、時代もこれから変化するから、今のスタイルはまだまだ進化の途中。終わりはないと思う。もちろんこれからも運転手と教官を両立しますよ。そうじゃないと危ないことを教えられませんから。自分の経験をすべて注ぎたい。そう思っています。

もしものために、バスには予備のメガネを常備。運転中に何があるかわからないから、これからも自分の経験は全部教えたいと思う。この道はここが危ないとかね。教えてもらえることを得だと思ってほしい。