INTERVIEW|社員が語る宇野バス

“超”がつくほどの問題児だった3年間。
我を抑え、平常心で終える一日を日々重ね続ける。

西田 善紀 Yoshinori Nishida
2015年入社

同じ失敗を何度してもヘラヘラ。
路線バスの運転を舐めていた超問題児。

前職と同様、路線を覚えて気をつけて運転すればできると思っていたんです。正直、舐めていました。舐めていたから、バックし過ぎて、壁に追突したことが何度もあって。まぁどうにかなるでしょうっていう感じだったから、「ヘラヘラしている」ってよく怒られました。次は失敗しないと思うんだけど、どう気をつけるかという視点が抜けているから、またやってしまう。経験が1年半あるといっても、自費で教習所に通って大型二種免許を取り、就職してすぐに乗れるかといったらガチガチで。宇野バスではそこを見抜かれて、未経験の扱いだったんです。空車教習1カ月、実車教習は約3週間。それで、「やっと独りになった、さぁ行くで」となったらブンブンと荒い運転をするわ、ポカもするわで、1カ月も経たないうちに、もう一回教習からやり直せと。バックカメラがないと運転できなくなっていたし、基本がなっていなかったから、古いバスで改めて基礎から叩き込まれました。

大学卒業後、システム会社に就職。内勤よりも外で仕事がしたいと、車の運転が好きなことからバスの運転手に。他社で1年半勤務するも2人目の子どもが生まれるのを機に、収入面から宇野バスへ。現在35歳。

社長や周りの人たちの助言で、
我の強さや不安定な精神状態を少しずつ克服。

そうはいっても、なかなか変われず、四苦八苦する状態が3年間続きました。「お前の悪いところをみんなに聞いて回れ」と社長に言われて。実際に聞いて回ったら、「周りが見えてないな。運転に出とるよ」って。我が強くて、他社のバスに譲らないといけないところを譲らない。時間の遅れをプレッシャーに感じて余裕がないから、なおさらです。当時は、自分だけが遅れているんじゃないかって、ずっと不安に思っていました。宇野バスでは、通常の遅れでは怒られません。遅れてもいい、事故をしたらその日は0点。そう考えるようになったら、気が楽になった。それに、精神状態が運転に表れてしまうという自分の悪いところがわかって、それからは運転中にイラっとしたら、やばいぞと思えるように。次第に「変わってきたな」と周りが言ってくれるようになりました。今もまだ、好不調の激しい運転手だという自覚があるので、平常心で一日が終われることを目標にしています。

勤務時間が長くて大変だと感じることがあっても、お客様からのありがとうの言葉が仕事の原動力。それが一番嬉しいです。ありがとうと言われ続けたいから、この仕事をやっているところもあると思います。

先輩の記録と並ぶ35年間無事故が目標。
将来は、問題児だった経験を活かして教官に。

1年間無事故の表彰を受けたのは、つい最近、6年目になってからです。「次は3年間頑張れよ」と言われています。ついこの前知ったんですが、35年間無事故の運転手が宇野バスにいらっしゃったと。35年後というと私は70歳。今の制度では70歳が定年だからギリギリです。伝説を作ろうというわけではありませんが、目指せるものなら目指したいですね。最初は1年間無事故なんてすぐだと思っていましたが、そんな甘い考えはもう捨てました。一日、一日が大切。それが積み重なって、1年、5年、10年になるという意味がやっとわかってきたところです。だから1年間無事故を達成できたんじゃないかと。将来は、教える立場になることを社長から期待されていると感じています。ちゃらんぽらんの時代があったからこそ、不安な人の気持ちがよくわかるし、教えることで自分の運転も磨くことができる。そうやって成長していくように考えてくれているんだと思います。

最初の頃に一度だけ、車内でお客様が転倒。軽度の打撲で済んだのですが、今思うとゾッとします。常に事故とは隣り合わせだと肝に銘じ、平常心で一日が終われるように心がけています。