新たな一歩

Side - A

バスの一人旅は初めてだった。
そこには見ず知らずの人との新鮮な会話を楽しむ自分がいた。

妻が他界して半年。
ひとり暮らしにも慣れてきたが、
どことなく張り合いのない日々を送っていた。
ある日、新聞を眺めていると、
妻と行った温泉地が載っていた。
そしてふと、妻の言葉を思い出した。
「私はもしひとりになっても旅行に行くわ。
だって新しい何かに出会えるから。」
インターネットで検索すると、
その温泉地への直行バスが見つかった。
そして妻の言葉に促されるように
気がついたら予約していた。

バスのシートが心地良い。
窓からの景色も今は澄んで見える。
片道1時間半のささやかなバスの旅で、
私の気分は変わろうとしていた。

裏面へ

Side - B

朝9時前。
バスの前扉からお客様が乗り込んで来る。
湯郷温泉直行便の運転も今日で4度目。
おかげさまで大人気で、毎回満員になる。
シニアの夫婦やグループが多いが、一人のお客様もいる。
そのなかに挨拶もなくそそくさと乗り込む一人の男性がいた。

出発時刻になり、バスを発車させた。
その男性は運転席の斜め後ろの一人席に座り、窓の外を眺めていた。

温泉に着くと、運転手である私も湯に入る。
これがこの仕事の特権だ。
露天風呂にいくとあの男性がいたので、思い切って話しかけた。
どうやら奥様に先立たれ、はじめての一人旅らしい。
話すと思ったより柔らかで気さくな人だった。
その後は、他のお客様とも少し話をしているようだった。

帰りのバス。
男性は同じ席に座っていた。
やはり窓の外を眺めていたが、
その顔は行きのバスよりもほころんで見えた。

表面へ

山と川が流れ橋がかかっている風景画
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