【シリーズ】社長が語る宇野バス品質
(2)車両整備を外注化。
路線バスの安全・安心を守る。
前回は、タイヤのこと、エンジンオイルのことなどをお話しした。
今回は車両整備の外注化について話をしようと思う。
事はバス事業経営の根本にかかわるところからだ。
路線バス事業において、利用者数のピークは昭和42年(1967年)だった。
私が宇野バスに入社したのは昭和54年(1979年)2月。路線バス事業はピークを過ぎ、下り坂に入っていた。
これから路線バス事業を引き継ぐ立場の私としては、とにかく父の言う「補助金を貰わない」、「安い運賃を貫く」を堅持するためには、相当効率的な経営をしなければならなかった。
そうした状況において、もうひとつ課題があった。
車両整備工場の整備士の高齢化だ。
当時、車両は6年ごとに入れ替えていたので、新しい6年の間では大きな故障はなかった。しかし、車両が新しくなるにつれて、車両設備が最新のものにどんどん置き換わっていく。自社の整備士がそれらの最新化に常に追い付いていけるだろうかという懸念があった。
つまり、私は2つの課題と向き合っていた。
・利用者数が下り坂のなか、どうやって経営改善(収益アップとコストダウン)するか?
・整備士の高齢化が進むなか、どうやって路線バスの品質を維持するか?
自社整備か、外注か。
未来があるのはどっちだ?
私はまず、品質維持について考えた。
当時、宇野バスには7人の整備士がいた。そのうち5人が50歳後半から60歳手前、つまり定年前の整備士だった。5年先、10年先を考えたとき、整備士を新規採用して自社整備を継続するか、それとも整備を外注するか、悩んだ。
バスの車両整備には相応の技能が必要だ。車両整備のより一層のレベルアップを継続的に実現するには、整備士一人一人が常に最新の専門性を身に着け、持てる技術の最新化をはかることが欠かせない。それを自社で実現し続けられるだろうか?いや、極めて難しいと思った。
私は、整備の外注化を選び、父や幹部に相談し、整備を外注すると決めた。
外注化は慎重に段階的に行うことにしたが、5人が定年退職を迎えるまでにすべての段どりを整える必要があった。そこでまずは12か月点検(車検)のみを外注し、1か月および3か月点検、6か月点検は自社で行うことにした。
なんとか工夫できないかを、
まず考える。
完全外注化に向けて最初に取り組んだのは、整備工場の新設だ。
少人数で効率的に自社整備ができること、そして最新車両に見合った整備ができること。そのために規模を縮小して従来よりもより安全に作業ができる整備工場を作り、設備も新しくしようと考えた。
ただし旧整備工場を稼働させたまま新整備工場を作る必要があった。
だが会社の敷地内には空いている場所がない。
適当な場所がないか思いを巡らせているとき、バスの冷房エンジンの格納場所がふと目に留まった。
当時、バスの冷房は車両の真ん中あたりに冷房専用のエンジンを搭載して冷房をかけていた(サブエンジン方式)。冷房エンジンはかなりの重量があるため、シーズンオフにはフォークリフトを使用してバスから降ろし、専用棚に格納していた。そうすることで車両が軽くなり、燃費の向上を実現していたのだ。
当時、約70台分あった冷房エンジン棚は相当な面積を占めていた。
ここを新しい整備工場にできるんじゃないか?
その頃ちょうど、冷房がサブエンジン方式からメインエンジン直結方式に変わりはじめようとしていたこともあり、直結方式へ置き換えていくことを前提に、冷房エンジンを脱着するのを止め、積みっ放しにすることに決めた。そして、冷房エンジン格納棚を撤去し、跡地に整備工場を新設することにした。
今思えば、この工夫が功を奏した。
昭和63年4月、新整備工場が稼働した。それまでに5名の整備士が退職していた。
車検と重整備は岡山市藤原にある日興モータース(社長は若い時宇野バスの整備士だった)に依頼し、残る2名の整備士で1か月および3か月点検をした。
車検の品質も問題なかった。むしろ外注することで、これからも最新技能を持つ整備士に任せることができて安心できる。バスの品質を維持できることが実体験として分かった。
さらにその後、1名の整備士が退職し、整備士は1名のみとなった。この時には1か月点検だけを自社で行い、3か月点検も外注した。
そしてついに1か月点検も外注し、ようやく完全外注化を実現できた。長い道のりだったが、品質維持のための大きな課題を、ひとつ達成できた。
最後の1名は定年まで車検・点検に出す準備や小さな修理等をして過ごした。
そうした経過のなか、経営面での追い風がやってきた。
規制緩和によって、法定1か月点検が廃止になったのだ。
3か月点検と12か月点検(車検)の内容も見直され、大幅な緩和が実現された。
おかげでバス約70台分に毎月かかっていた費用が不要になり、外注費の大きな削減につながった。これは整備を外注していたからこそ実現できた費用削減であり、自社整備の場合には削減できなかった費用だ。
ところで旧整備工場はどうしたかというと、解体・撤去して近くにある表町商店街のお店にお使いいただく月極駐車場にした。その後、当時はまだ珍しかったコイン駐車場に代えていって、収益力の大幅アップを実現した。所有する資産を有効活用することは経営にとって大切なことだ。現在もオランダ通りコイン駐車場として活躍している。
未来を見据え、
路線バスの安全・安心を
守っていく。
整備の外注化は、想像以上の効果をもたらしてくれた。コストダウンや収益アップにもつながった。でもやはり一番は品質維持、つまり路線バスの安全・安心を守っていくことだ。
特に、あれから30年余を経過した今、自動車整備業界では整備士不足が続いている。
しかも、整備士不足の状況はかなり深刻で、ディーラーの整備工場でさえ優良な整備士を取りそろえるのが困難な状況にある。自社で優良な整備士を抱えるのはなおさら難しいだろう。
そして、いま、車両は電子化してしまい、ディーラーでさえ手を焼いており、部品製造メーカー、システム製造メーカーでなければ修理が解決しない状態になってきている。
これからの課題は、如何に優秀な整備工場を選んでいくか、である。
もしあの時、自社整備を選択していたら、車両整備においては今日、十分な整備ができず、大きな問題を抱えることになっていただろう。そう思うと、当時の選択に間違いはなかったと確信している。
(次回へつづく)